プログラムノート


シューベルト/ロザムンデ序曲 D.644

 ロザムンデは、女流作家ヘルミーナ・フォン・シェジーによる「合唱、音楽伴奏、舞踊つきの4幕の一大ロマンチック劇」です。シューベルト作曲の劇付随音楽により、1823年12月ウィーンのアン・デア・ウィーン劇場で初演が行われました。

 初演で選ばれた序曲は、シューベルトの生前に演奏されなかったオペラ「アルフォンソとエストレッラ」序曲の流用でした。しかしながらのちに、ロザムンデに結びつけられて、挿楽劇「魔法の竪琴」の序曲が有名になりました。シューベルト自身が、この決定を下したかどうかはわかっていません。本日の演奏も、この「魔法の竪琴」序曲です。

 この曲はハ短調の重々しいユニゾンから始まる荘厳な序奏で幕を開けます。その後速い速度に変わると同時にハ長調に転調し、様々な表情を 持つ主題へ移り変わりながら曲は進んでいきます。主題はヴァイオリンが奏でる軽快な第一主題、クラリネットとファゴットを筆頭に様々な楽器が伸びやか に歌う第二主題、スタッカートを多く用いたリズミカルな第三主題の3種類あります。10分強の短い曲中で次々と移り変わる曲調の変化に注目しながら、お楽しみください。


 ベートーヴェン/交響曲第1番 ハ長調 作品21

ベートーヴェンは、第1交響曲の作曲を、1799年に始め、1年後に終えました。 自身の指揮により、1800年ウィーンの国立劇場で行われた初演は、大成功でした。 交響曲の基礎とオーケストレーションは、まだ明らかにモーツアルトやハイドン風です。

第1楽章は、長い序奏に始まり、完全に規則通りのソナタ形式が続きます。 当時としては大変斬新でしたが、交響曲は、不協和音の7の和音、すなわち下属調(ヘ長調)上の属七和音(C7)で始まります。

そこで、聴き手はさしあたって、基本調がわからず、宙ぶらりんになります。 アレグロ・コン・ブリオの第1主題に突入して、初めてハ長調であることがはっきりわかります。 交響曲に登場する楽器一式は、すべて序奏で顔見せします。

第2楽章もまたソナタ形式です。 ベートーヴェンの9つの交響曲の中で、唯一、提示部が繰り返されます。 第1 主題はフガート(短いフーガ)でもたらされますが、出だしは、普段目立つことの少ない第2ヴァイオリンのソロで始まります。 注目すべきは、伝統的にむしろ静かで落ち着いている第二楽章の性格が、con motoとメトロノーム数の追加によって、むしろ幾分脈打つような、足早な性格になり、それにともない珍しく第1楽章の活気を受け継いでいることです。

第3楽章は、メヌエットというタイトルがついていますが、アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェという極端なテンポからみて、スケルツォ的です。   本楽章のスケルツォ(諧謔)性を考慮して、実際の主題的形態や動機は使用されたり発展されたりしません。それに代わりベートーヴェンは巧みに単純な音階や三和音の小道具をつなぎ合わせています。それらは、楽章の上昇する機運に、特徴的かつ楽しい振動を付与しています。 トリオ(中間部)は、ハーモニーが静的な管楽器の和音と、同時に演奏される第1ヴァイオリンの音階要素とで目立ち、旋回するスケルツォ部分と比較すると、むしろ一休みの感があります。


第4楽章は、全9つの交響曲のなかでは唯一のケースとして、長い序奏で始まります。

第1ヴァイオリンが、他のパートの伴奏が一切ないという一風変わった形で、のんびり音階を探りながらかけ上がって行き、小休止(フェルマータ)のあと、オーケストラは、ロンド・ソナタ形式の第一主題に突入します。 主題の題材は主として上行音階に支配されていますが、その速い、楽しそうな様子は、確立された、ハイドン風の最終楽章の性格へのオマージュを表しています。 行進曲風の金管の合図と、幾度か繰り返されるオーケストラ全体の合奏で交響曲は終ります。

 チャイコフスキー/交響曲第4番 へ短調 作品36
 この曲は、その力量に於いてロシア音楽史上初めて、ベートーヴェンの交響曲達に肩をならべ得ると評された交響曲です。  1877年に作曲され、1878年2月22日、モスクワでルビンシュテインの指揮により、初演されました。

 チャイコフスキーは、財政的支援者のメック夫人宛ての手紙(1878年3月1日付け)で、曲の標題などについて説明していますので、以下に紹介します。

「この交響曲が書かれた去年の冬、私は激しくふさぎ込んでいて、交響曲は私が体験していたことの真の反響です。」(P.チャイコフスキー)

事実、本交響曲の作業期チャイコフスキーは激しい精神的な危機を経験しています。

第1楽章

「序奏は、交響曲全体の種子であり、無条件に主要な思いです。」(P.チャイコフスキー)

序奏では、ファンファーレが響きますが、これは、次のような説明から「運命のファンファーレ」と呼ばれており、この後主要な瞬間に出現して来ます。

「それは運命神であり、宿命的な力であり、幸福への欲求が目的をとげるのを妨げるもので、平安や平静が一杯で晴れやかになることのないよう嫉妬深く見守り、ダモクレスの剣のように、頭上にぶら下がり、一貫して絶えず魂を中毒させます。宿命的な力は打ち克ちがたく、決して人が打ち破ることはありません。おとなしくして、実り無く悩むほかありません。」

序奏が終わると、弦による第1主題(ヘ短調)へ移ります。

「わびしい、望みのない感覚が、常にもっと力強く、もっと燃えるようになります。現実から目をそらし、幻に没頭する方がよくはないでしょうか。」

調が変イ短調に変わり、空想をあらわすような、ややくだけた感じのクラリネットのソロが始まります。

「うれしや! 少なくとも甘い、優しい幻が現れます。なんらかの恵まれた、明るい、人間的な姿がひろまり、しばらく手招きします。」

更に明るいロ長調での変奏に変わります。

「何と素晴らしいことでしょう! いまや、アレグロのしつこい第一主題はもう何と遠のいたことでしょう。幻は少しずつ魂を完全に包みました。忌まわしいこと、わびしいことは全て忘れられました。ただ一つ、ただ一つ、幸福があります!..
否! これらは幻でした、そして運命神がそれから目を覚まさせます。」

以上が提示部の筋書きです。展開部、再現部を経て、コーダに至ります。コーダでは、運命のファンファーレと、第1主題の下降する音形の変形とで堂々たるクライマックスが築かれます。

「このように、全人生は、苦しい現実と、つかの間の夢見、そして幸福の幻の絶えざる交代です... 波乱後の安らかな生活はありません... この海の上を、それが人を引きずり込んで、その深みに沈めない限り、泳ぎます。」

第2楽章

「交響曲の第2楽章は、憂いの別の局面を表現しています。それは夕方、人が一人で座り、仕事に疲れ、本を持つものの、本が手から滑り落ちるときに出現する憂鬱な感覚です。一連の回想が現れます。このようにすでに多くのことがあって、過ぎ去ったのは悲しく、子供時代を思い出すのはうれしいことです。過去は残念ですが、改めて生活し始める意欲もありません。人生は疲れるものです。休息して振り返るのはうれしいことです。沢山のことが思い出されます。若い血が沸いて、人生が充実していたころは、喜びの瞬間がありました。苦しい瞬間、償いがたい喪失もありました。これら全てがもうどこか遠くにあります。そして過去に没頭するのは、悲しくて、何となく甘いものです。
」(P.チャイコフスキー)

メランコリックなオーボエのソロが大変印象的です。

第3楽章

「第3楽章ははっきりした感覚を表現していません。これは、カプリチョ的アラベスクであり、少し酒を飲んで初期段階の酔いを体験するときの想像を通り過ぎる捉えがたい形です。心は快活ではありませんが、悲しくもありません。何も考えていません;想像力に意志を任せると、想像力は何故か奇妙な絵を描き始めます... その真ん中に、なぜか突然、ほろ酔いの百姓たちの光景と 街の歌声が回想されます... その後、何処か遠くで、軍隊の行進が通り過ぎます。これは、寝入りつつあるとき頭に浮かぶ、全くとりとめのない形です。それらの形は、現実とはなんの共通点もありません:それらは奇妙で、突飛で、とりとめがありません。」(P.チャイコフスキー)

弦楽器は、終始ピッチカートで弾きます。中間部で、クラリネット、フルート、ピッコロなどの木管楽器が、「ほろ酔いの百姓たちの光景と 街の歌声」を描写し、遅れて金管楽器が「軍隊の行進」を表すマーチ風の旋律を吹きます。

第4楽章

「第4楽章。もし自分が自分自身で喜びの動機を見付けられないときは、他の人々を見てみます。民衆に向かって進みます。如何に民衆が、完全に嬉しい感覚に身を委ねて、快活になる能力を持っているかを見ます。祭日の民衆の快活さの光景。やっと我を忘れて、人の喜びの光景に夢中になるのに成功すると、じっとしていない運命の神が再び現れ、自分を我に帰らせます。しかし、他人にはわたしのことは知ったことではありません。彼らはもう振り向かず、私を眺めず、私が孤独で悲しいことに注目しません。ああ、彼らはなんと快活でしょう! 彼らのすべての感情は直接的で単純であることは、なんと幸せなことでしょう。自分を責め、世の中がすべて悲しいなどと言わないようにします。単純ではあるが、力強い喜びが出てきます。他人の快活さで快活になります。それでも生きていくことは可能です。」
(P.チャイコフスキー)

螺旋状に下降する速いパッセージが一段落すると、民謡風のメロディーが奏でられます。これは、次のようなメロディーを繰り返す、ホロヴォード(ロシアの輪舞)で歌われる「白樺は野に立てり」という民謡を題材にとったものです。
この二つの素材が発展し、「運命のファンファーレ」との三者で大いに盛り上がって大団円となります。

文責 小林一史